都市開発に取り組む建設産業の中で、その「工事の始まり」を担う解体専門業者の団体です。

協会概要 About Us

名称 一般社団法人 東京建物解体協会
設立 昭和60年4月1日(社団法人許可)、発足:昭和46年8月
平成25年10月1日:一般社団法人に移行
住所 〒104-0032 東京都中央区八丁堀 3-10-1-401
役員 会長 山眞幸 (株)山工業
  副会長

中橋博治 
高橋 仁
(株)中橋工務店
(株)高橋工務店
  専務理事 永島久緒  永島工業(株)
  常務理事 酒匂信義 事務局長
  理事   小林  明   (株)小林商店  
  理事 川口猛志 川口解体工業(株)
  理事 藤井  誠 津久波工業(株)
  理事 斎藤浩太郎 新栄興業(株)
  理事 仲野  昭 都商事(株)
  理事 山上英樹 三和解体工業(株)
  理事 小熊康義 鞄結梔体工事工業所
  監事 岡部 辰夫 (株)アーバン黒岡工業
  渡辺明彦 (株)黒姫

協会の歴史 Association History

幣協会は昭和46年8月、東京の京橋に事務所を構えて発足しました。
当時は「列島改造論」に象徴される高度成長期の真っ只中で都市の再開発整備の課題が脚光を浴び、それに伴って解体事業の役割も重要なものとなっていました。他方、建設現場の近隣住民に対する騒音、振動などの公害問題に加え、解体工事からの廃棄物処理問題など現在も深刻な懸案となっていることが、既にこの頃から大きな社会問題として取り沙汰されるようになっていました。
私共の協会は都市開発に取り組む建設産業の中で、その「工事の始まり」を担う解体専門業者の団体として一致協力して懸案解決にいどみ、社会的責任を果たす事を使命として設立されました。

昭和46年
8月「東京建物解体協会」任意団体として設立、9月「廃棄物の処理および清掃に関する法律」施行。
この年、従来のスチールボール工法に替わる施工方法としてエアー式ジャイアントブレーカーが取り入れられてきました。破壊力はあるが騒音が大きいこと、後ろにエアホースをつなげて移動するのが不自由なことなどの弱点もありました。
昭和47年
会報「協会だより」発刊。「全国安全週間」に協会主体で積極的に参加。この頃から廃棄物処理の問題が協会内で心配され「10年後はどうなる」をテーマとして研究委員会を開催。
9月の浅間山荘事件、この事件は皮肉にも建物解体業の仕事を広く世間にアピールすることになりました。建物を壊す現場と機械がTVで繰り返し放映されたからです。その後しばらく「コンクリートの建物は浅間山荘のときと同じ機械で壊すのですか?」といった質問が続きました。
昭和49年
年初から第4次中東戦争、第1次オイルショックの経済への影響が懸念され不況感が広がる。
高度成長期は終わり、昭和60年までの10年間、低成長の長いトンネルを潜る事になります。東京都では美濃部知事の対話路線が浸透、住民運動が乱発化するなかで建設騒音・振動に対する近隣住民の苦情が区の公害課などに相次ぎ、厳しい対応を求められた。
当時の解体工法は木造建物は人力(手壊し)の為、騒音・振動の問題は無かったが基礎の解体、コンクリート建造物の解体には振動の大きいスチールボール工法や騒音の大きいジャイアントブレーカが用いられていました。これに対して当業界は新しい「ジャッキ工法」の公開実験を行い、無振動・無騒音工法の開発に努力しました。この年12月2日協会事務所を中央区京橋から豊島区大塚に移転。
昭和51年
長期不況の中で51年の倒産件数と負債総額は過去のワースト記録を更新。
雇用改善、福祉増進の目的で「建設労働者の雇用の改善に関する法律」が施行。解体業界、共同企業体方式の入札を実施。振動規制法制定。協会の地位向上を目ざし、法人格(一般社団法人)をとる為の事業計画、予算を策定。
昭和54年
この頃よりコンクリート建造物に対する解体機械の開発がめざましく進む。
従来のジャイアントブレ−カに代わって油圧シリンダーを使用し、挟んだものを噛み砕く圧砕機械が出現。木造建物の解体でもパワーショベルの先にアタッチメント(鋏)を付け、掴んで離す工法が主流となる。「低振動・低騒音」が業界の合い言葉なっていたのに加え、従事者の高齢化も機械化促進の一因となった。
協会は関係団体と共同で「大井埠頭その2城南島」を建設廃棄物再生処理施設用地として払い下げるよう、都知事に要望書を提出。
昭和55年
当協会顧問に安井謙参議院議員(故人)、大塚雄司衆議院議員の両先生を迎え、社団法人化へ向けて全力をあげる。
協会誌の名称を「協会だより」から「かいたい」に改め、法人化めざして内容を充実。
昭和56年
国、都など「東京湾埋立フェニックス計画」の構想を検討。コンクリート建造物の解体に際し、労働安全衛生法の改正で「コンクリート造工作物解体作業主任者」の選任、その者の作業指揮が義務づけられる。
「大井埠頭その2城南島」の払い下げ実現に備え「東京建物再生処理センター設立準備会」が発足。協会設立 10周年を迎える。
昭和57年
福島県原町市にあった東洋一の無線鉄塔解体。この無線塔は大正8年「逓信省磐城無線電信局原町送信所主塔」として建設された高さ200mの巨塔で解体は不可能とまで言われたものでした。
建設廃材の不法投棄が目立ち、警視庁の取締りが厳しくなる。都民向け広報誌として「かいたいQ&A」を発行。
昭和59年
一般廃棄物に含まれていた廃木材が4月1日より産業廃棄物として指定替えとなる。
この頃より廃木材を再利用するチップ工場が千葉県、埼玉県に建設された。12月、「大井埠頭その2城南島」の払い下げ実現を目的として「東京建物解体処理事業共同組合」設立。
昭和60年
4月1日、「東京建物解体協会」が念願の社団法人として認可される。11月28日、解体業の業種確立の為、全国各地16団体によって「全国建物解体工事業団体連合会」を設立する。
昭和61年
この年、秋ころから政府の内需拡大策と民間活力導入により建設業界は活況を呈し、10年ぶりに「業界の春」となる。石綿の除去工事が届出制となる。
石綿は昭和30年代から40年代にかけて遮音・断熱・耐火被覆材として、よく使用されていました。
昭和62年
景気上昇と社会構造の変化によって人手不足が深刻化。
とくに建設業界は「危険・汚い・きつい」の3K(死語?)を代表する業種と見なされ、体質改善が急務となる。「騒音規制法」の改正で規制強化。日本で最初の爆破によるビル解体実験を、長崎県高島町の炭坑住居ビルで実施。実験は成功したが都市部では公害が大きすぎて実施は不可能。11月、コンクリート組積造の再利用をテーマとして東京で国際シンポジウムが開催される。
平成1年
建設工事、解体工事から排出される建設関係廃材の増大、処分場の不足が深刻な社会問題として全国的にクローズアップされてきた。
千葉県は東京都からの廃棄物を事実上、締出す事を決定。建設業界大手、解体業界、建設廃棄物処理業界を代表する3団体、建設廃棄物の適正処理をめざす「(株)イージェック」を設立。
平成2年
木造建物の解体にも「作業指揮者」の専任が義務づけられる。幣協会が設立5周年を迎える。
平成25年
10月1日、一般社団法人に移行する。 9月27日、一般社団法人及び一般財団法人に関する法律及び公益社団法人及び公益財団法人の認定等に関する法律の施行に伴う関係法律の整備等に関する法律(平成18年法律第50号)第45条により、東京都知事より一般社団法人に移行することの認可を受けた。このことにより、10月1日付で従来の特例民法法人(社団法人)については解散の登記、同日付で名称の変更後の一般社団法人について設立の登記を行った。なお、一般社団法人東京建物解体協会の初代の代表理事には、山眞幸氏が就任した。

最後に

幣協会は設立以来30数年を経過しました。この間、都市再開発、建造物の老朽化による建替え需要は年毎に増大し、それにつれて解体工事量も増え続けてきました。その中で、振動、騒音問題や廃棄物処理の重要性が一層、浮彫りにされ解体工法、技術、安全管理、労務などの改善について十分な対応を急がなければならなくなっています。
これらの課題に正面から取組んできた当協会の役割は今後ますます重大なものになるといわなければなりません。加えて建物解体業を自立した業種として確立させる事、従事者の資格用件の整備、解体技術の一層の向上など、これから成熟期を迎える協会として解決を迫られる課題は山積しています。
全ての建設事業と街づくりの大前提を担うものとして解体事業の使命と社会的責任はまさに重大であります。首都、東京において業界を代表する私共、東京建物解体協会は深くその事を自覚し22世紀に向かって、これまで以上のリーダーシップを発揮しつつ社会への貢献に身を呈する決意であります。

マスコット

一般社団法人
東京建物解体協会

〒104-0032
東京都中央区八丁堀
3-10-1-401
電話:03-3551-1075
FAX :03-3551-1076